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'10/01/20: マスコミの良識、裁判の常識

説明責任という言葉が先走っている。もちろん、民主党小沢一郎幹事長のこと。マスコミが無責任だと感じる理由はある。箇条書きにしてみよう。

1.裁判所・裁判官は裁判中などに裁判の内容を公にして騒ぐ裁判の関係者がいると、騒いだ側に厳しい判決にしようとする傾向がある。
2.検察が資料を押収している時に説明しても、説明の裏付けが提示できないから説得力がない。無罪なら私は潔白だと主張する他はない。
3.裁判の原則は、逮捕されて起訴されて裁判で有罪になったら犯罪になる。それ以前は推定無罪とされ、容疑者の人権を守らねばならない。

これらは法律を扱う者なら周知の事実だが、マスコミでどれだけ分かっている報道関係者がいるのかに疑問を持つ。コメンテーターどころかアナウンサーでさえわかってない局がある。

前述箇条書きにはそれぞれ合理的な理由がある。

1.裁判は裁判所に出された証拠資料をもとに罪状の是非を争うものだ。証拠として採用するかどうかも裁判書が判断する。事前や最中にそれらの資料をマスコミに評判として流してマスコミが裁くような状況になると裁判の公平が保たれず、裁判の中立が損なわれるため、厳しく対応する。

2.ペーパー資料がない状況では容疑者の無罪主張は説明したとは認めないのに説明を要請するのは不条理である。近年、痴漢の誤認逮捕での無罪獲得までの遠い道のりが話題になったものだが、「私は潔白だ」と主張することしかできない時に説明するのは無理だ。逮捕した側には理由があっても無実なら説明する材料がない。

3.推定無罪の原則は、枝野代議士が発言した一瞬くらいしか報道されていない。一度失われた名誉は容易に回復しないので、法律家は容疑の段階ではこれを重視する。

まあなんだ、面白いとも言える。現状だと検察の主張が流布することで、裁判はむしろ証拠資料や事実関係の証明に終始し、感情的な議論はほぼ放置されるだろうこと。マスコミが騒ぎすぎることで、検察は汚職を証明しない限り敗北同然に追い込まれていること(政治資金規制法の記載義務違反は微罪であること)。

実は今追い詰められてるのは検察特捜部だとぼくには見えている。「攻めてる割に詰め切れないよ、その手駒じゃ」と将棋の盤面を覗いている気分。民主党党内が静かなのってこのへんが理由じゃないのかな。国政部分は憶測なものも多いんだけど。


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