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'08/08/26: ゴネる人の心理

 ナニワ金融道というマンガがある。一時期、司法試験受験生はこぞって読んだという噂。とにかく法の使い方が面白い。作者はもう亡くなってしまったけど、良く勉強してたと思う。

 さてこのマンガを読み返していて、ああそうか、と久しぶりに納得した1シーン。軟禁から戻ってきた主人公に社長が尋ねる。

「自分が正しいと思ってるヤツと自分の言ってることは内心理不尽なことと知ってるヤツとではどっちがゴネると思う?」
「それは自分が正しいと思ってるヤツでしょう?」 
「そう思うやろ。ところが違うんやな。自分がまちがってると知ってるヤツのほうがようゴネるもんなんや」

 他の社員にゴネる時にどうするか聞くと「僕だったら相手の些細なことにインネンつけて、話を本筋からズラして攻撃すると思います。」と答える。社長はそれを肯定して続ける。

「相手の弱点見つけて食らいついてゴネまくるしかしかたないんや。それに自分が100%正しいと思てるヤツは焦る必要はないんや。最悪、法廷で決着つければええんやからな。」


 確かに、ぼくが高く評価する先輩議員は、決して論旨をずらさなかった。こちらが正しいと思ったときには、自分の意見を変えた。曲げたところで負けない。百の人間に百の意見があり、どれにもメリットデメリットがあると分かっていたからだと思う。

 正しい人間の方が潔くなれる。ぼくも正々堂々、正面から、すべてに答えたい。ゴネ得になるような社会は嫌いだから。

Comments made

こんにちは
そのとおりだと思います。
正しいか正しくないかは、何に対してでしょうかね。
人それぞれ、正しい人は正しいのでしょうか。
絶対的でしょうか、相対的でしょうか。何を正しいと把握するかでその人がわかる以上、。。

わたくしは、第三者に任せますね。

ありがとうございます。
'08/08/26 14:56:43
自分が正しいと思ってることについては、ぼくは、第三者に任せる必要すらないと思ってます。それは時間が決めることで人が決めることじゃないと思うから。

正しいか正しくないか、というより、理があるか理がないか、かな。ぼくらは政治家だから、情理より法理を先に置く。情で見るより法で見る。法が通っていて、その先に情で区別できる見解の差があると思うのです。

なにが正しいと思うのか、それを常に明確に出すのが、政治家という職業だと思います。それぞれの立場でそれぞれの正義があるにせよ、自分にとっての正義がどこにあるかを言えないのでは、どんな政策でも他人を説得できないと思ってます。
'08/08/27 00:39:45
コメント、ありがとうございました。

「自分にとっての正義」とは、他者にアピールする自分の立場ではないかと思いました。

差し出がましいかもしれませんが、お互いのプラスとなると考え、投稿させていただきました。

ありがとうございました。

岩西
'08/08/27 21:31:42
 アピールは二義的なものではないかと、ぼくには思えます。言葉のとらえ方の問題かもしれません。

 他者にアピールするためが第一義になるとしたら、それはコマーシャルとおなじで、商品の良い部分だけを説明するのが良いでしょうし、それを否定するものに対しては営業妨害だと責めるしかないでしょう。

 しかし政策は、どこにも一長一短あります。誰かにアピールすることだけを求めたら八方美人政策になりかねないでしょう。「ぼくはこういう理由でこれをこう考え、結果としてこれが最善であると思っている。」というのは説明責任という内部動機の情報公開で、それを納得するかしないかは相手の問題だから心配しても仕方ないと思うのです。

 世の中にはウケるだけの政策を出す議員さんも多数いますけれど、ぼくとしてはなるべく両論併記の中で、ぼくはこのように判断して、今の結論に至っていると今後も説明していきたいと思ってます。

 ご意見ありがとうございます。
'08/08/27 22:23:22
岩西です。

果たして、相手の問題でしょうか?わたくしは、むしろ自分の問題だと考えてます。なぜなら、それは責任転嫁に思えるからです。責めているつもりはありません。あなたの文脈には、これはこうだから仕方がないという主張がありますが、わたくしは、違うと思うのです。変えることができないことにも、変える意志があるかぎり、可能性はふえるかなと思うのです。

おこがましいものいい、お赦しください。
応援しています。

がんばってください。
9月6日 岩西
'08/09/06 22:03:51
 ご声援ありがとうございます。

 そうですね「これはこうだから仕方がない」というのは言います。でもその言葉は「だから諦めよう」じゃない意味なんですけれど、分かりませんか。

 「現状を正しく認識して正しい情報の元で判断を下す」ためには現状を認めることが必要です。そこにはなんらかの意味があって行き着いたという歴史がある。歴史を認めた上で「今、なにができるのか」という突破口をさがすことが大切だと思います。

 過去は変えられませんから、認めなければならない。当時自分がいたら違っただろうとかいう理想では歴史は変わらない。変えるのは、現在。現在なにをするかで未来を変える。

 もしぼくの考えが「あきらめている」と見えるなら、それは間違いだとのみ断言します。事実を認めて変革しないかぎり、表面しか変えられません。変えたいのは根本であって、表面じゃない。

 政策で言うなら、対症療法は嫌いです。少数の誰かが「これをしてほしい」というものに応える、そういう政策は嫌いです。ぼくは多数のなにも言わずに諦めている人たちが「こうなったらいいのになあ」と思っているものをカタチにしたい。

 政治が未来に夢を見せられないなら、政治家に価値なんかない。その決断と行動を評価するのは時間であり、歴史です。それはぼくの手が届く場所ではないから、相手の問題。そう思います。
'08/09/08 00:45:05

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